青森スポーツクリエイション(株)取締役
若井暁

2012年7月に青森県内唯一のプロバスケットスポーツ球団として、青森ワッツは誕生しました。

試合の興業は勿論のこと、子供達のためのバスケットスクールやチアダンススクールなど、地域全体のバスケットやチアの底上げに寄与していると自負しております。また、試合会場でのエキシビジョンマッチで、実際にプロが使用するコートで小中学生が試合を経験でき、試合前には、オープニングショーとして皆さんの活動報告できる場としてご使用頂いております。

2017-2018シーズンにおきまして、観客動員数は、年間30ゲームで47,600人、「試合に関連する観客消費」にかかる経済波及効果は3億4,120万円という数字が出ております。

これからも、青森県民に「憧れ」と「感動」を!!子供達に「夢」や「希望」を!!のスローガンの元に邁進して参ります。

十和川バラ焼きゼミナールサポーター
岩澤直樹

ボンジュール!卒塾して6年たった頃、初の南部暮らし=十和田に赴任した私の拠り所はARC会員が県内各地で活躍している事。自ら歓迎会を企画・開催、一気に南部地区に親近感を抱くことができた(笑)。と、同時期に〈十和田バラ焼きゼミナール〉なる団体と遭遇、なんと翌年に十和田市でB1グランプリ全国大会が開かれることを知った。

ベルサイユの〈バラ〉と〈バラ焼き〉を結びつけ薔薇まみれで〈バラ焼き〉ではなく〈十和田〉をPRする、一見風変わり(?)だが愛に溢れたバラゼミの発足は立志挑戦塾と同時期(!)、初期メンバーに同期がいた事を思い出した。今では全国の愛Bリーガー達の憧れの的である。

〈街も人も磨けば必ず光り輝く〉と〈十和田のまちおこし〉に全身全霊で取り組む、舌校長こと畑中宏之氏に惚れた私も、大会成功へ向け〈成功の反対は失敗ではない、何もしない事〉と、まずは職場を盛り上げる事から始めた。また、活動を通じ知り合った人々とのご縁で各種イベントにも参加、どんどん十和田人(ウマジン含む)が好きになった。そして大会は成功。ボランティアが大活躍、一体となった十和田はス薔薇シカッタ。

その後も福岡研修、東京全国大会参加、そして、中国・瀋陽日本総領事館にて(バラ焼きは焦がしたものの)ピコ太郎コスプレで日本のおもてなし理念&十和田PRを披露…近い将来、中国でB1の精神が広まる事を願ってやまない。
※2019年11月~明石大会

以上、充実した十和田ライフを経た今も日々刺激的なのは、やはり、立志挑戦塾のお陰である。〈恩返しの倍返し〉=青森県を元気にできるよう、今後もARCの魅力溢れたメンバーと精進していく。皆様も各地区会へお気軽にご参加を!!

最後に。青森県の輝かしい未来に向かって☆アン・ドゥ・ラビアンローズ! ~バラ色の人生を!!~

秋元駿一
熱いココロが地域を変える~ブランデュー弘前の取り組み

自分の地域を精一杯の声で叫ぶ。こんな熱く自分の街を誇りに思い心を一つにして応援できる。ブランデュー弘前はそんなサポーターが集まるチームです。私はセネターメンバーではありませんでしたが、J1のチーム松本山雅にみる、地域と一体になるすべての中心がここにある。そんな弘前の誇りとなれるチームづくりを共に進めてきました。

今はサポーターの拡大を元にチームの応援をしています。青森県内にはヴァンラーレ八戸、ラインメール青森と3チームあり、完全に追う立場の私達ではありますが、弘前の誇りを胸に今日も魂をかけて選手と一緒になって戦っていきます。

私の目標は子どもたちがブランデューのユニフォームを来てこの弘前を誇りに思ってもらえること。遠い長い苦難の連続ばかりですが、人々の思いと共にゴールを揺らせるよう、取り組んでまいります。

三沢ナイトホッパーズガイド
吉田寿

行きたいけれど入りにくそう。支払いやマナーがわからない。そういった言葉が聞かれる「アメリカンバー」。

そんな方の代わりにアメリカンバーのドアを開け、飲み方や楽しみ方、そして三沢のあれこれを紹介するのが Misawa Night Hoppers のガイドです。きっかけは三沢市内で2015年に開催されたおもてなしガイド育成講座。

そこでリーダーNAOは「三沢は夜が面白いから夜のまちあるきガイドをしたい。」と思い立ち、受講生のDODOと私KOTOBUKI、そして既に八戸市でまちあるきガイドをしていた贋田智嵩(にせだともかさ)と共に夜のまちあるき団体「Misawa Night Hoppers(三沢ナイトホッパーズ)」をその年の12月に立ち上げました。現在新人ガイドKAZUNEが加わって5人体制となっております。

行政などの支援を受けず、自分たちが【飲み】歩いて見つけた、自分たちが自信をもって勧められるお店を、お客様の趣味趣向に合わせて案内するということをポリシーに、90分で2、3軒のアメリカンバーを「はしご酒」しながら三沢市や三沢基地、地元のことなどをお話ししています。

青年海外協力隊
種市香織

私は2014年から2016年の2年間、青年海外協力隊としてルワンダへ派遣されました。活動内容は、職業訓練校の先生をサポートしながらホテルコースの学生たちにホスピタリティについて教えるというものでしたが、一緒に協力するはずの先生がいない、教科書がない、など初日から問題が山積みでした。しかし、持ち前の何とかなるさ精神で、先生が赴任するまでは自ら先生となり授業を行おうと決意、教壇に立ちました。2年目には新しい先生が赴任し、サポートしながら授業を進めたり教科書を作ったり、と協力しながら活動することができました。2年間という限られた時間の中で「私ができることは何なのか」「どうやったら帰国後もその活動を継続させられるか」を常に意識しながら活動したことを覚えています。

現在は、再び青年海外協力隊として活動するべく、福島で訓練を受けています。言葉、文化、歴史、宗教、生活習慣、など日本とは異なる途上国で挑戦し続けます!

あおもりだしStyle
小川切勇治

私がだしの世界を初めて意識したのは、2014年8月10日。第10回あおもりマルシェのステージイベントで、当時からだしソムリエとして活動していた奥村雅美さんと出会ったことがきっかけだった。そこで味わった「だし」の味に感動し、半年後、誘われるままにだしソムリエの検定試験を受けた。

そういった中で気づいたのは、だしが和食の基本であるにも関わらずだしに対する知識が十分に広まっていないこと。以前の私も含め、若い世代は便利なだし調味料=だしだと誤解していることが多いし、だしの取り方もわからない。加えて、青森県には昆布や焼干しなど、魅力あるだし素材がふんだんにある。これを使わないのはもったいない!

奥村さんとともに、だしソムリエが集い、学び、だしを広くPRし、だし文化を後世に継承するため、2016年3月5日、「あおもりだしStyle」を設立。これからも、会員が自己研鑽しながら、身近にだしを感じてもらえるような活動を行っていきます。レッツだし活!!

Aomori53161
田名部和行

私は天明塾長から人間力を高めるためにはOAA(おそうじ、あいさつ、ありがとう)が大切だということを教えていただいた。その実践として始めたのが53161(ゴミ拾い)である。最初は休日やっていたが継続できなかった。三年目にして一念発起。月躍日の早朝に始めることにした。そして負担にならず、習慣になるサイクルを模索して週一回、三十分限定とした。各自ゴミ持ち帰りも個人に負担をかけないためである。この仕組みにより六年間継続している。

六年を終えて人間力が高まったかは不明である。53161の良いところは簡単に社会に貢献できることだと思っている。どんな小さなことでも続ける事が大切であるということを感覚的に理解した。

今は継続しない理由がみつからない。これからも続けていくだろう。

七戸はやぶさPR隊
田中清一

「七戸はやぶさPR隊」が活動を始めたのは2009年6月。当時、七戸町は新幹線「七戸十和田駅」開業が間近に迫っていたが、“七戸町に新幹線新駅が出来る”という認知度が非常に低かった。この状況を打破するために「七戸の知名度を上げたい」という思いで動き始めたのが結成のキッカケだった。そして我々は自らが「新幹線はやぶさ」になりきり、七戸に新幹線駅が出来る喜びを表現する斬新な方法を編み出した。

2010年12月に東北新幹線全線開業、翌年3月、新幹線「はやぶさ」デビューの際、七戸に「はやぶさ」が停まらないと知り、かなりショックを受けた。その時生まれた名言が「七戸に“はやぶさ”が停まるまで、僕たちも止まりません!!」だ。活動の成果が実り2013年3月のダイヤ改正で、ついに七戸十和田駅に「はやぶさ」が初停車!!!

「七戸に“はやぶさ”を停めたのは俺たちだ」と豪語しながら、「連結!!」をキーワードに、今後もゆるやかに走り続けたい。

Umagin(ウマジン)
蛯沢達彦

2012年、十和田青年会議所とイラストレーターの安斉将さまとで十和田市秋まつり中日を盛り上げる試みの話し合いを開始し、これまで十和田市の特色とされてきた「馬」と、近年新たな特色となってきた十和田市現代美術館の「アート」を取り入れたキャラクターを作りました。キャラクターの名前はジョンレノンの名曲イマジンをもとに、「Umagin(ウマジン)」とし、ウマジンになれば誰もが平等で友達になる、という思いを込めました。

ウマジンを知っていただくために、子どもたちとワークショップを行い、秋まつりで駒街道を練り歩くウマジンパレードを行いました。誰もが秋まつりへ参加でき駒街道を歩ける、人と人とがつながる、自分を表現する楽しさを知る、など多くの利点を提供することができました。

その後、ウマジンは各方面の方々から、時に面白がられ、時に場違いな異物と見られながら、単なる十和田市の魅力を発信するキャラクターの枠を超え、行動範囲がどんどん広がっています。これからもさらに人と人を笑顔でつなぐコミュニケーションツールとして、世界に衝撃を与え続けて欲しいと願っています。